かながわ点描「史跡相模国分寺跡(海老名市)」

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 天平十三年(七四一年)聖武天皇は、仏教で国家の安寧を祈るため、全国に国分寺を建てた。その一つの遺跡が海老名にある。相鉄線海老名駅から東に五百メートルの所だ。

 絵の中央の四角い基壇に、高さ六五メートルの七重の塔が建っていたという。今は礎石があるのみ。
 目の前の大きな石は、金堂の礎石。基盤が少し高くなっている。
 ここに座ると正面に雄大な大山の姿。

 左の洋館風の建物は、一九一八年(大正七年)に建てられた海老名村役場の一部を移築したもの。今は郷土資料館「海老名市温故館」となっている。
 ところで、相模国については謎が多い。第一に国府の位置が未だに確定されていない。通常国府の近くに国分寺を建てるので、最初は小田原に国分寺が建てられたという説もある。

 この絵の国分寺が火災にあったことは文献もあり、遺物からも分かるが、その後の経緯がよく分からない。ともかく、現在、この遺跡の近くに真言宗の「国分寺」がある。
 昼過ぎには時折、草原でお母さんが小さい子を遊ばせていたが、午後三時過ぎになると、下校途中の小学生が、遊びながら通り過ぎて行った。