しいば寿幸・日本共産党参院比例予定候補の歩いた道(4)党員の「背中」を見て入党
両親が党員だったこともあり、気づいたら赤旗まつりに行っていたという環境でした。保育園の年長のころ、友達は「社会党!」、私は「共産党!」と言って、宣伝カーに見立てたミニカーを走らせていました。先生たちからはどんな子どもに見えたでしょうか。
小学3年生から毎年参加した後援会の越年スキーは、「共産党員」を意識する機会に。コーチは労働組合や職場で活動する党員です。さまざまな困難があった八〇年代ですが、それを感じさせないほど明るく、スポーツ論や政治論を語りあかす姿にひかれ、「あんな風になりたい」と思うようになりました。
大学1年の5月、参院選にむけた演説会のあと、大学の先輩のすすめで入党します。はっきり言って「勢い」です。ただ、思い起こすと、「両親に少し近づけるかな」という想いがあったのかもしれません。
父は「お金や名誉」ではなく、核兵器廃絶という人類史的課題と格闘していました。母は川鉄公害訴訟「あおぞら裁判」をたたかい、命と健康を守る看護師としてがんばっていました。
両親からすすめられたことはなかったので、翌朝「入ったよ」というと、驚いた表情でした。「赤飯だ!」と心から歓迎してくれたことを思い出します。
大学1年の3月、民青同盟の卒業生送別会のとき